



















「軽貨物は底辺職だ」
そんな言葉を、ネット上で見かけることがあります。
軽貨物の仕事をしている人間として、こういう言葉を見たら腹が立つのか。悔しいのか。否定したくなるのか。
私の場合は、少し違います。
正直なところ、「まあ、ね」くらいです。
特に言い返そうとも思いません。そして不思議なくらい、自分が言われているような気もしません。
今日は、その理由について少し書いてみようと思います。
「そう言われても仕方ない部分はある」と思っている
もちろん、「軽貨物で働く人はみんなこうだ」なんて言うつもりはありません。真面目に仕事をしている人も、この仕事に誇りを持っている人もたくさんいます。
そのうえで、なぜ軽貨物がそういう見られ方をすることがあるのか。そこは一度、感情的に否定せず考えてみてもいいと思っています。
一つ目は、「消去法」で入ってくる人もいる仕事だから
軽貨物は比較的始めやすい仕事です。運転免許があり、必要な手続きをして車を用意すれば、仕事を始められます。
例えば飲食店を開くのであれば、料理を覚え、店舗や設備、開業資金を用意するなど、さまざまな準備が必要です。一方で軽貨物は、それらと比べれば参入のハードルは低い。それ自体は悪いことではありません。新しく仕事を始めたい人にとっては大きなメリットです。
ただ、その入りやすさゆえに、「これがやりたいから軽貨物を選んだ」ではなく、「ほかにできそうなことがないから、とりあえず軽貨物をやる」という入り方をする人もいるように感じます。
世の中から、人気がないというより、「できればやりたくない仕事」と思われることもある。高度な資格がなければ始められない仕事でもない。だから、消去法の最後に残った仕事のように見られる部分は、確かにあるのかもしれません。
二つ目は、「仕事」と「プライベート」の線引き
軽貨物では、業務委託や個人事業主として働く人も多くいます。個人事業主だから自由。それはその通りです。
ただし、自由であることと、仕事であることを忘れることは別だと思っています。
キャラクターもののTシャツ、短パン、クロックス、金髪、ピアス。プライベートで何を着て、どんな格好をするかは本人の自由です。ただ、お金をいただき、誰かの会社の荷物を持って荷主企業様や納品先へ伺う場面では、相手からどう見えるかも仕事の一部だと思います。
身だしなみ、挨拶、話し方、荷物の扱い方、立ち振る舞い。「個人事業主だから何をしても自由」だけで終わってしまうと、外から見た人に、「これ、本当に仕事としてやっているの?」と思われても仕方がない場面はあると思います。
私は、仕事中だけ猫背が直ります
これはかなり個人的な話ですが、私は普段、ものすごく猫背です。プライベートでは本当に姿勢が悪い。
ところが仕事をしているときは、なぜか自然に背筋が伸びます。別に「胸を張ろう」と毎回意識しているわけではありません。
たぶん、仕事をしている自分が、どう見られるべきなのかという感覚があるんだと思います。緊張しているわけではない。でも仕事には緊張感がある。そのスイッチが入ると、自然と姿勢まで変わります。
なぜ「底辺職」と言われても何とも思わないのか
一番大きな理由は、私は、この仕事を消去法で選んでいないからです。
今、自分が一番やりたいこととして、軽貨物の仕事をしています。
私はたぶん、別の仕事もできます。営業をやれと言われれば、営業もできると思っています。この仕事しかできないから、しがみついているわけではありません。
ほかにも選択肢がある中で、これを選んでいる。だから「底辺職だ」と言われても、自分のことを言われているような気がしないんだと思います。
誇りがあれば、他人の言葉はそれほど気にならない
これは私個人の考えですが、自分がやっている仕事に本当に誇りを持てていれば、外から何と言われても、そこまで気にならないのではないかと思っています。
逆に、「俺だって好きでやってるわけじゃない」「俺だって大変なんだ」という気持ちをどこかに抱えていたら、「底辺職」という言葉が、自分の中の痛いところに刺さるのかもしれません。
言われて腹が立つ人を責めたいわけではありません。ただ、もしその言葉がものすごく気になるのなら、一度、「なぜ自分はこんなに腹が立つんだろう」と考えてみてもいいと思います。
「俺たちがいなければ荷物は届かない」は、少し違う
軽貨物の仕事について批判されると、SNSなどで「俺たちがいなかったら荷物は届かないんだぞ」「物流はインフラなんだぞ」という反論を見ることがあります。
物流が社会を支える重要な仕事なのは間違いありません。でも、それをそのまま自分自身の功績にしてしまうのは、少し違うと思っています。
今ある物流の仕組みを作ってきたのは、長い時間をかけて業界を作ってきた先人たちです。私たちは、その中の一人として仕事をしている。
だから「物流は社会インフラだ」という大きな看板を掲げるより、自分自身が今日、誰の役に立ったのか。何を改善したのか。どんな仕事をしたのか。私はそちらの方が大事だと思っています。
「なぜそう言われるのか」を、一度受け止めてみる
「底辺職なんて言うな」と反発することは簡単です。でも、そこで終わるより、「なぜそう見られることがあるんだろう?」と考えた方が、私は面白いと思います。
参入しやすい。仕事とプライベートの線引きが曖昧に見える人もいる。仕事に誇りを持てないまま続けている人もいるかもしれない。
だったら、その見られ方を変えるには、自分は何をすればいいのか。そこに矢印を向けた方が、仕事は良くなっていくと思います。
私も、最初から誇りを持てていたわけではない
ここは誤解してほしくないのですが、私も最初からこの仕事に誇りを持てていたわけではありません。
誇りを持つためには、誰かの役に立ち、感謝される経験が必要だと思います。そして感謝される仕事をするには、考え、工夫し、努力しなければならない。
荷物をただ運ぶだけで終わらせず、どうすれば相手が安心するか。どうすれば次はもっと良くできるか。そういう小さな改善を積み重ねて、初めて「助かったよ」「ありがとう」と言ってもらえる。
努力して、役に立って、感謝される。それが誇りになる。
誇りが生まれると、もっと役に立ちたくなる。もっと良くしたくなる。すると仕事そのものが「愉しく」なって、努力を努力と思わなくなっていくのだと思います。
「楽しい」よりも、「愉しい」と思える会社に
これからも私は、自分自身がこの仕事に誇りを持ち続けたいと思っています。
そして北条送運で働く人には、単に気楽で「楽しい」ということよりも、自分で工夫し、自分の手で誰かの役に立てることを「愉しい」と思ってもらえる会社にしたい。
荷主企業様から「ありがとう」「助かったよ」「安心したよ」と言ってもらえる場面をもっと増やしたい。そういう言葉を重ね、自分の仕事が誰かの役に立っていることを自分で確認できれば、外から「底辺職だ」と言われても、「そうですか。でも私は今日も誰かの役に立っています」くらいで終われると思うんです。
誇りは、肩書きではなく、自分の仕事から作る
仕事の価値は、誰かに高く評価してもらったから生まれるものではないと思っています。社会的に格好いい肩書きだから誇れる、ということでもありません。
自分が誰かの困りごとを解決した。誰かを安心させた。「助かった」と言ってもらえた。そういうものを積み重ねていけば、自然と誇りはできていく。
そして、本当の意味で人の役に立てるようになれば、仕事としての価値も上がっていく。価値が上がれば、結果として収益にもつながっていくはずです。
だから私は「軽貨物は底辺職なのか?」という議論に、あまり興味がありません。
それよりも、自分たちの仕事を、どうすればもっと誇れる仕事にできるのか。そちらを考えていたい。
「底辺職だ」と言われたら、私はたぶんこれからも、「まあ、ね」で終わると思います。
その代わり、今日もまた、自分たちの手で、誰かの役に立てる仕事を増やしていきます。